庭の小さなばら

庭の小さなばら

庭の小さなばら

庭のつるばら (新潮文庫)

庭のつるばら (新潮文庫)


ひさしぶりに読んでも、本当にいいんだよなあー!!普通の読書ではないように感じるのは、どうしてなんだろう。いつも不思議に思う。気持ちいいような気がするのだ。本を読むことで気持ちよくなるって、他にはない。
この本は今年の4月に発売されたもの。発売前から楽しみにしていて、買ってすぐに読んだのだけれど、感想を書かずにおいてしまった。そしてこの夏にまた読み返して、すっかり満足し、あらためて感想を書こうと思ったのだ。
いつもいつも、日常の中の花や会話、音楽や食べ物につつまれていて、読むたびに安心する。
それとは別に、この「庭の小さなばら」だからこそ読めたところ。


「日光行き」
庄野さん夫婦と、足柄の長女の3人で出かけた日光旅行の様子。
ついでに私も付いて行った。
そういう気になるのだ。庄野さんが旅行を描くと、リアリティ以上のものがあって、
旅行の朝のとまどいや気だるさや新鮮さ、大きな緑の中の清々しさと心もとなさ。
景色が変っていくことの愉快さと驚き、そして一瞬一瞬が後ろに流れていくにつれて、次々に
思い出に姿を変えていくことの淋しさと心強さ。
そういう「旅行」の姿を、どんどん思い出させてくれる。
でもそれは私の「旅行観」であって、庄野さんのそれとは違うと思う。自然の見かたとか。
だから、読む人の「観」を喚起するんだと思う。それこそが読書の醍醐味だ。


「おじいちゃん八十歳おめでとうの会」
庄野さんのお祝いの会。家族が集まって、おなじみの「くろがね」を借り切って開かれた。
このときの記念写真が、『新潮』での江國香織さんとの対談の記事に載っていたので見た。
その写真の、みんなの「嬉しい」「楽しい」という言葉そのままの笑顔と、そしていつもいつも庄野さんがそう表現する「のびやかな」字で書かれた、フーちゃんの「おじいちゃん八十歳おめでとうの会」の垂れ幕を思い出しながら読んだ。

それにしても、庄野さん夫婦と、子どもと、孫と、ゲストの二人(藤野邦夫さんと阪田寛夫さん)の全部で15人が集まったとは、なんと幸せで賑やかなことだろう。でも、よく考えたら、いちばん近い家族たちと、いちばん親しい人々しか来ていない。最も会いたい人たちと、最もくつろげるお店で、最も幸せなことを祝い、ありがたがる。なんて素敵な空間だろう。ぜんぜん妬まない。心から祝福できる。


「長女災難」
長女の夏子さんが、お向かいの家の庭仕事を手伝っていてクマン蜂に刺された。
これを読むと、ふだん全く自然に接していない私は震え上がってしまった。
以前の作品で、家の中にムカデがいて、寝ている間に刺されてひどく痛かった、ということが書かれてあるのがあったが、それも私を震え上がらせた。たとえば「鎌倉に住みたい」と思っても、雑誌かなにかで実際に住んでいる人が「鎌倉に住むのだったら、虫と一緒に住むのと同じ事です」と言ってるのを読んだりして、夢と現実のあまりの差に愕然とするような、そんな感じ。
でもそんなことも、「とんだ災難であった」という一言で終わっているので、先に進めるのだ。


モルジブ
次男一家が、初めての海外旅行でモルジブに行く。
モルジブ共和国のモルジブ島。
庄野さん夫婦が、
「次男一家がスリランカ空港で行くモルジブ島とは、いったいどんなところにあるのだろう?」
と思って、本屋で世界地図を買ってきて、調べてみるところが良かった。

 
 ひろげて、次男一家の行くモルジブ共和国モルジブ島を二人で探す。
 インドの南を探してみると、あった、あった。Moldive。
 インド洋のセイロン島の南にある島。
 「どうしてまたこんな遠いところまで出かけて行く気になったのか」というのだが、
 仕方がない。
 われわれなら、日本のどこか景色のよい島へでも行って、昼寝をしようと考えるが、
 次男が行きたいというのだから、仕方がない。


この「仕方がない」というのが2つ続けて出てくるのが面白い。よっぽど、ということだろう。それは、初めての海外旅行で、ヨーロッパからの観光客が多いとはいうものの、こんなに遠い島に家族で行くことになっては、心配でたまらないだろう。その不安と心配が、手に取るようにわかる。それだけで伝わる。


門のとりかえと室内の塗装工事
この工事が終わって、工事費の支払いをする日のことが書かれているが、その金額が書かれてあって、少し驚いた。今まで、こういうことのはっきりした金額は書かれていなかったような気がしたから。でも、長年の間ずっと小説の題材として書き続けてきて、今の作品の大切な核となっている「家」の工事の規模をあらわす意味で、必要だったのかもしれない。


芸術院ビデオどりの日」
芸術院の会員記録のビデオ作品の撮影を、庄野さんの自宅で行った時のこと。阪田寛夫さんとの対談、ピアノの上の、庄野さんのお父様お母様のお写真や、本棚の著書、書斎の様子や、庄野さんが庭を歩いたり、坂道を上って来る様子などを撮影したらしい。そんなことを書かれたら、読者としては「見たい」としか思えないけれど、「へとへとになる」という言葉で表現した、この長い長い1日の様子は面白く読んだ。


「春夫の手紙」
そして初めて宝塚の舞台を見せてもらった、孫の春夫くんからの、庄野さん宛ての手紙。


 今日は宝づかによんでいただいてありがとうございました。宝づかはとても
 キラキラして、きれいでした。さいごに羽をつけた人がかいだんをおりて来る
 ところは、心にグサッときました。「たつたの」で食べたくずもちは、きなこ
 とくろみつがかかっていて、とてもおいしかったです。
 宝づかは、とてもたのしい一日でした。
                                 春夫


この、第二の夏子さんかと思わせるような、見事な手紙!それに続けて、庄野さんはこう書いて、この連載及び「庭の小さなばら」の本を締めくくる。

 春夫はいい手紙をくれた。フィナーレのところの「心にグサッときました」が
 よかった。


このシリーズは、いつも広がりと喜びを持った形で終わるけれど、その中でもこれはバツグンだと思う。なまいきな言い方かもしれないが。この終わりが、私は大好きだ。