前途

『前途』 昭和43年 講談社

豊かな本。
これは庄野さんの九州帝国大学在学中の日記をもとにして書かれた作品。ここに登場する学生たちは、みんな豊かだ。戦争中で、いつ仲間に、そして自分に動員令が下るかもしれないけど、下宿暮らしで貧しいけど、毎日ビールを飲みに出かけては「今日は良かった、今日はまずかった」などとばかり言っているけど、同人誌に出す作品作りに四苦八苦しているけれど、豊かだ。


 結局、青春というのは、遠いところにあるものではなくて、こうした地味な、
 ひとつひとつは小さな、取り立てていうこともないような友人との交わりの
 日々のことだと思う。女の人との恋愛がないから、自分の青春を空しいと
 する者には、たとえ意中の人を得たとしても、その青春はやはり空しいもの
 だろうと。


作中の言葉だ。大学時代の、庄野さんの。男友達と過ごす毎日を送っているので、こんなことを言ってみたいのだ、と思って読んでみることもできるけれど、でもこの中にはやはりもっと大きな、ちゃんとしたことの意味が入っていると思う。
とにかく、「青春」が何か、ということではなくて、何を考えて毎日を送ったか。というより、何かを考えて毎日を送ったか。考えてさえいれば、それは青春なのだと思った。たとえば、とても大げさなことを言えば、ひきこもりで何年も家から出ていない人でも、そのことについて、自分がひきこもっていることについてを真剣に、考えたり思い悩んだり楽しく思ったりしていれば、それはその人にとっての「青春」なのかもしれないのだ。この「前途」に書かれる若者たちの青春は、とても清々しいもので、ひきこもったりはしていないけれど。
毎日毎日、誰かの家にぶらりと出かけていったり、誰かが来たり、道で出くわしたりして、そして飲みに行ったり、ご飯を食べたり、一緒に本を読む会を開いたりして、過ごしている。それらのことを、全然大げさにではなく、真っ直ぐに書いているから、こちらも「青春」の気になる。


さて、この本の中には、学生たちのやりとりだけでなく、庄野さんの恩師・伊東静雄先生とのやりとりも綴られている。


 文は人なりという風な文学が本当にいいのだと思います。一丁、傑作を書いて
  やろうというようなのは駄目なのです。」

 「自分の本当の才能を見極め、自分に真に適したことを着実にやってゆくのが大切」


という伊東氏の庄野さんへの助言の数々は、読んでいる私も勉強になった。大切な言葉たちばかりだ。私は勝手に、自分のことにあてはめて読んでいた。


 「あなたはおっとりした小説を書いたらいいな。小説に身を入れて。いまは小説の
  表面をまさぐっているでしょう。なにか独自の題材をみつけて書いたらいいで
  しょうね。いま、いくつですか」
 「二十三です」
 「そしたら、あと三十まで七年。七年あればいいな。これからいろいろ深刻な経験
  にも会われて。三十ごろに第一創作集を出せますよ。出したらお父さんが喜ばれる
  だろうなあ」


この言葉は、庄野さんの人生に深く残っているだろうと私は思った。無意識にでも、ずっと奥深くに、食い込まれて。そして私にも、リアルに感じる言葉だ。リアルに勉強になる言葉だ。私と同じくらいの年の、庄野さん。そして庄野さんに言われた言葉。それを、今22歳の私が受け止めて、それをどうしていくか。残された時間を、私は手遅れかもしれないけれど、「青春」していこうと思う。


そして、この小説の中に貫かれている、戦争の影。ここでは小高という名前で登場する、島尾敏雄氏が、海軍航空予備学生の入隊を控えたあるとき、任官後は「六ヶ月の命であり、その期間中に殆どの者が戦死する、七十%が死ぬ」ということを聞いたと伝える。庄野さんはそれを聞いて驚き、「そんなに死ぬのか」と何度も聞いた、と書かれている。友人が死ぬことが、これほど身近にあるということを、私は今まで経験したこともないし、これからも身近にはなりたくない。この「前途」は静かな文章で淡々と書かれていて、それがこの「身近の恐怖と寂しさ」を現実のものとして伝えていて、それがそのまま、ちゃんと伝わってくる。そしてそのあとは、こう続く。


 「いまのうち、大事にしときや」
 と小高が例の口調で云うので、僕は、
 はったい粉、食うか」
 とわざと心細気な声で云った。
 「食うで、食うで」
 室が笑った。
 それからまた真面目になって、小高は、
 「だけど、これから先、親しい友達が次々と戦死してゆくのを聞いたら、
 くそーと思うだろうなあ。俺は一回、あの飛行服着られたら死んでもええわ。
 かくかくたる武勲が立てたい」
 と云った。そして、はったい粉のことを思い出して、僕に催促した
 僕は押入からはったい粉と砂糖の罐を取り出し、原稿用紙を三枚出して、
 みなに配った。
 それから三人は、一昨日の晩のように畳の上に腹這いになり、めいめい原稿用紙の
 上のはったい粉を嘗めた。黙ったままで。そして、この日で僕が家から持ってきた
 はったい粉は終りになった。


毎日の中に、ちゃんとすべてが入っている。日常の空気が、文章の中ですべて表現されている。日が昇って、南に止まり、そしてまた暮れていく、その空気の流れと、光の揺れ。簡単な言葉だけれど、「今読んで良かった」と思った。