エイヴォン記

エイヴォン記

エイヴォン記

私はこの本が、とても嬉しかった。子どもが大人になって、子どもを産んでまたその子どもが大人になって、そしてまた子どもを産むように、ずっとずっと続いてきた命のつながり。それと同じ役割を、本も持っている。本が本を残して、そしてその本によってまた新しく生まれ、そしてまた残る。その役割を、この『エイヴォン記』は全うしている。私が知らなかった、とても素晴らしい物語たちを、庄野さんのこの本でたくさん知ったし、心が温まった。それは、遠く遠くまで続く私の命のつながりのように、本と本とのつながりを感じた出来事だった。

こうやって、きちんと「本の役割」を満たしているのに、どうしてこういう本が店頭に並ばないんだろう。トンガッた顔がいっぱいの漫画とか、全部同じようなファッション雑誌とか、お金をどうするとかいう本とか、そういうもので埋め尽くされてしまうのだろう。どうしてこの本が、図書館の閉架式の棚にしまわれて、図書館員に頼まなければ出してもらえないようになるのだ。私はいつでもこの本といっしょにいたいし、何度も読みたい。ちゃんと「本の役割」を持っている本を、ものを食べたり音楽を聴いたりするように読みたい。


さて(前置きが長くなってしまったが)、この本は『群像』に一年間連載された随筆をまとめたもの。毎回、庄野さんがこれまでに読んで気に入っている本の中の物語を紹介する。そしてその合い間に、ご近所に住んでいらした清水さんがくれる薔薇のこと、そして孫娘のフーちゃんの様子が挿入されている。


庄野さんが紹介した物語は、以下の通り。

『ブッチの子守唄』 デイモン・ラニアン
『ベージンの野』 ツルゲーネフ
『トム・ブラウンの学校生活』 トマス・ヒューズ
『クラシーヴァヤ・メーチのカシヤン』 ツルゲーネフ
『情熱』 ドロシー・キャンフィールド
『少年たち』 チェーホフ
『精進祭前夜』 チェーホフ
『卵』 シャーウッド・アンダスン
『蛇使い』 蒲松齢
『ふたりのおじいさん』 トルストイ
『少年パタシュ』 トリスタン・ドレエム
『ふるさと』 魯迅

どれも、紹介どころではなくてほとんど物語の全部を要約して書いてくれてある。有名な作家ばかりなのに、私は読んだことがないか、本当に有名な作品を1〜2作しか読んでいないものばかりだったので、知らない作品を知ることができて、本当に嬉しかった。
とくに好きだったのは『少年パタシュ』で、この作品だけではなく、庄野さんが挿入したフーちゃんの話もいい。これを読んだ時、本当に幸せな気持ちになった。

 
 グリコのおまけの小さな箱を指で開けるとき、フーちゃんは鼻息を荒くしたと
 妻があとで話す。フーちゃん、興奮すると鼻息が荒くなるの。フーフーフーフー
 いうの、と妻がいう。
 最初、妻を見るなり、よろこんで、燥いで叫びながら飛び上がったあと、ミサヲちゃん
 のスラックスのうしろへ顔をくっつけた。恥ずかしがって。


というところなど、面白いし幸せだ。そういう文章が、物語を紹介している途中で急に出てくる。


 パタシュと「僕」との会話の途中だが、ここでパタシュのようにおしゃべりでない、
 私の孫娘の文子のことをちょっと報告しておきたい。


というふうに。私はここで、頭を切り替える。そのときの、「ぐーん」という音がしそうな頭の中の動きが、最初はとまどって、そして最後は心地よかった。


面白いところがあった。フーちゃんのある日の様子を書いたところ。


 台所で妻がメロンの皮をむいて、包丁を入れて、皿に載せていたときのことだ。
 フーちゃんは待ち切れなくて、お皿のメロンに手を出そうとした。
 「あとで、みんな一しょにね」
 といって私が止めると、一呼吸おいて、
 「ばァか」
 といった。


私はここでハラハラして、「アワワワワ、庄野さんにそんなことを言って!」と思ったのだが、しかし庄野さんご自身の感想は、こう続く。


 物をいわないフーちゃんが、いった。日に日に賢くなる。


文章の中で、怒りもせず、愚痴りもせず、悲しがりもせず、そう書いた庄野さんのこと、私は決して「孫に甘い」とかではなくて、観察の文章なんだなあ、と感心した。これが、庄野さんの作品がただの日記に終わらないところだ。日記のようでいて、詩になり、小説になり、写真になり、音楽になったりして、私たちに文学を教えてくれるのだ。それを読むと、私は嬉しくなる。

ところで、この『エイヴォン記』は、最近の庄野さんの作品にもよく登場する。清水さんがくれて、そして庄野さんの書斎の机の上に飾られる薔薇「エイヴォン」が登場する時に。「エイヴォン」という名前が、『トム・ブラウンの学校生活』に出てくる川の名前と同じだというこということに気付く。そしてこの薔薇は、庄野さんのお気に入りになる。この本の中に描かれる、庄野さんご夫婦と清水さんの交流は、本当に美しい。こういう美しさで作られた本の中に、古い本の中の物語が紹介されて、そして新しい命を持つ子どもの様子も描かれる。
これが「本の役割」だろう。命が入っている本だ。
毎日でも読みたい本なのに、私は明日、図書館に返しに行かなくてはならない。