懐かしきオハイオ

『懐かしきオハイオ』 1991年 文芸春秋


前に読んだ『シェリー酒と楓の葉』の10年後に書かれた、続編。


これはロックフェラー財団から一年間の米国滞在の機会を与えられた私が、戸数二百、人口六百のオハイオ州ガンビアの、「白塗りバラック」と呼ばれる教職員のための木造平屋の(三軒つづきの)簡易住宅で妻とともに初めての北米大陸の冬を迎えようとしていた当時を振り返りながら、昔のノートブックを辿ったものである


と書かれている。その続きで、この本は元日から始まっている。冬から、帰国するまでの7月の終わりまで、1日ももらさず書かれた、日記。約650頁で、3000円する分厚い、立派な本だ。この重くて立派な本を、私は本当に楽しんだ。庄野さんと奥様の、アメリカでの生活の1つ1つが興味深くて、新鮮で、ちっとも飽きずに、最後まで楽しむことができた。(日付の曜日が、偶然今年と同じだったのが嬉しかった。)

前回の「シェリー酒と〜」を読んでいたので、登場するお馴染みの人物たちに親しみを持てたし、だんだんと卒業式や庄野さん夫婦の帰国、それぞれの旅立ち、再スタートなどが近づいてくるこの本は、読んでいる私の心の中に深く食い込んでくるものだった。

庄野さん夫婦は、このオハイオ州ガンビアで、本当に良い人達と巡り会っている。みなが親切で、好感の持てる人ばかりだ。それも、庄野さんがそういう目で、感謝の気持ちを込めて日記に記しているからだと思う。

登場する人々は、みな出身国や血筋、人種がバラバラ。いろいろなところからやって来て、このガンビアという小さな田舎の町に居を構えて、何かしらの仕事をして暮らしている。例えば、3月24日の日記の中で、庄野さんの奥様は仲良くしているニコディムさんの家へ、キニー夫人のリンダとお茶に呼ばれて出かけたことが記されているが、その中で

 メキシコから来たリンダの父方の祖父母と父はスペイン人。母方は中国人の血が入ったメキシコ人だそうだ。夫のマークの祖先には英国人とフランス人の血が混っている。
 ニコディムさんはポーランドとイタリア、オットンにはポーランドとフランスの血が入っているそうだ。

とある。ここだけではなくて、登場する人物を紹介するとき、ほとんどの人にこういった背景の説明がある。これは、ごく自然に自分たちの出身や血筋を、自己紹介のようなときに話しているということだろう。食事会のときなど、それぞれの国の踊りや歌を披露したり、音楽をかけたり、料理をふるまったりして、交流している。様々な背景、習慣を持った人々が、一所に集まって、それぞれを大切にしながら過ごす。ほとんどの人が大学で働いているので、年度が終わってしまうと、バラバラになってしまったりする。そういう、不思議な集まりの縁。まるで、豆腐やプリンのようにもろくて、不確かなものを1つ1つ大切に扱うように、丁寧に毎日が記されているのだ。おかげで、こちらまで1人1人を愛し、本が終わりに近づくにつれて切なくなってしまった。


同じ町に住む人だけではない。庄野さんはこの本の中で、南部やケリーズ島、ニューヨーク、ニューイングランド島などに旅をしているが、そこで出会い、すぐに二度と会わない仲になる、旅先での小さな、しかし心に残る出会いもしている。その中で私の心に残ったのが、南部の旅での、ヴィッツバーグ行き鈍行バスの中で庄野さんの隣りに座った男性だ。動作が、とてもゆっくりとしている。チョコレートの包紙を剥ぐときも、口に入れてから「うまい」というまでの時間も。


 この人のすること為すこと、すべて手間がかかる。


と庄野さんは言っている。それがおかしい。
そういう、一瞬の出会い。それが積み重なって、時間が出来上がっている。それを大切に、心にとどめることが、庄野さんの「書き方」なのであると改めて思う。すなわち「生き方」なのだと。


たびたび登場してこの本の中に彩りを添えているのが、留守にしている家から来る、子どもたちの手紙だ。東京の家に残った3人の子どもたちは、長女の夏子さんが11歳(小5)、長男の龍也さんが7歳(小1)、そして次男の和也さんが2歳。この3人の手紙(和也さんはまだ字がかけないので、お世話をしている庄野さんのお母様が様子を教えてくれる)とても面白い。


 この間、寒さが急にぶり返した晩のこと、和也が布団に入ってから、「ニクイ、ニクイ」と
 いって泣くので、なぜ泣くのか分からず、夏子が訊くと、少し考えて、「ヌクイ、ヌクイ」
 といっているのだと<いう。「ヌクイ、ヌクイするの?」といって訊くと、「はい」という。
 毛布を炬燵で温めて足を包んでやると、喜んで寝たそうだ。「はい」というのが可愛い。
 夏子がいつもこんなふうに小さい弟の世話をしてくれているのだろう。有難い。


  また別の手紙には、


 和也がマッチ箱に積木の小さいのが詰まって出なくなったのを母のところへもって来て、
 「カタイヨ。ダンゼンカタイヨ」といったので、笑った。


ということが書かれてかったのを紹介している。
どの子も、本当に可愛い盛りだ。庄野さんはもちろん、奥様の寂しさといったら、言葉に尽くせないほどだろう。2歳の和也さんもそうだが、長男の龍也さんは4月の小学校入学を迎えているので、本当は側にいたいという気持ちが、強かっただろうと思う。庄野さんは、このガンビアでの生活を楽しみながらも、帰国する7月を迎えるのを、とても待ち遠しく思っている。

長男の龍也さんが小学校に入学したときの写真が送られてきたのを見た庄野さんは、


 私は、この新しい帽子と服の、田舎の小学校の新入生みたいな龍也の笑い顔が好きだ。
 この、照れ臭いのと嬉しいのとでますます不恰好になった笑い顔が好きだ。


と、あからさまに息子への愛情をあらわす文を書いている。そういう作家は、日本では本当に珍しいと思う。これから、長年にわたって、生活の中の身近なこと、主に家族を題材に作品を書いていく庄野さんの、根本となる姿勢のようなもの、それがよくあらわれている文だと思った。


私の緩んだ姿勢を正させるようなところもあった。小さな大学町のガンビアは、住んでいる人がほとんど学生や学校関係者で、庄野さんはよく大学に出かけていって、フットボールラクロスや野球などの試合を見に行く。そして、何人かの学生と親しくなり、一緒に旅行に出かけたり食事に招いたりしている。ここの学生(ケニオン・カレッジ)は、真面目でよく勉強する人が多く、庄野さんがよく一緒に過ごした学生も、真面目で将来の目標や考え方がしっかりしている人が多い。
庄野さんが、そういう学生を好み、そうでない学生を非難することがよく分かる文章がある。ケニオンに柔道の試合を見に行ったとき、いつも親しくしているトムという学生の知り合いで、日本から来た留学生と会う場面だ。


 ぐにゃぐにゃした男で、話をする気になれない。アメリカに二年いただけでこんなふうに
 変になってしまうのだろうか。こんなぐにゃぐにゃしたのがアメリカに来て何をしようと
 いうのか。何のために英語を勉強するのか。日系二世のハワイから来たトムやロドニイの
 方がどれだけしっかりしていることか。


と、徹底的に非難している。この学生がよほど酷かったのだろうと思われるとは言え、私だって同じようなものだ。学ぶ意欲・関心・態度がぐにゃぐにゃで、主観的にしか物事が見られず、とても庄野さんに褒められるような学生ではない。そしてその学生生活もあと1年で終わってしまうのだから、何とも自分が恥ずかしく思われてくる文章だった。

逆に、庄野さんが好んでよく一緒に出かける学生の1人に、ジニイがいる。私は、登場する学生の中で、彼に一番好感を持った。庄野さんが、ジニイや同じく学生のユールノーと一緒にニューヨークの劇の話をしている場面。


 マイ・フェア・レディ」のようなといおうとして、名前が思い出せない。
 ミノーとジューンが好きで、よくレコードを聞かせてくれたミュージカルなので、
 その中の曲のいくつかは耳に馴染みがあるのだが。
 「有名なミュージカルで、一人の男がロンドン訛りの娘を教育して」というと、
 ジニイはすぐに分かって、一緒に歩いているユールノーの背中を両方の手で叩いて、
 「ほら、ほら、君がレコードを持っている、あの、それ」
 と、躍り上がるようにしていう。
 で、やっと「マイ・フェア・レディ」が分かって、ジニイは大喜び。
 ジニイは何と純粋な青年だろう。こんなときにこんなふうに嬉しそうな声を出して、
 名前を思い出そうとして、友だちの背中を両手でたたくような人間を見たのは、はじめてだ。


と書いている。純粋で、真面目な人。それでいて、しっかりとした意思と目標を持っている青年が好きなのだと思う。それにしても、庄野さんの目線は、穏やかなようでいて、相当厳しい。


さて、この本の中に登場する、ガンビア一帯の住人で庄野さんと親しくなる人たちの中で、私が印象に残った人について。

まずは、何といってもミノー。
庄野さんの隣りの隣りに住み、毎日のように行き来して、毎晩のようにマーティニを飲み、語り合ったミノー。インドのボンベイ出身のミノーは、奥さんのジューンと娘のシリーンと3人で暮らしている。次の年度から大学との契約が切れて、新しい就職先がなかなか見つからないで落ち込んだりはするものの、とても親切で、常に明るい。よくミノーは、庄野さんの家の外から「バカ」と声をかける。ミノーの知っている数少ない日本語の一つで、これが2人の挨拶になっているのがおかしい。

ミノーは、料理などで自分の気に入ると、それを繰り返し食べるようなところがある。庄野さんが教えた「すき焼き」が気に入り、自分で毎日のように作って食べている。私も同じような癖があるので、親近感をもった。ミノー一家と庄野さん夫婦の、お別れのシーンは悲しかった。私が悲しがるのはおかしいかもしれないが、本当に何度も何度も登場し、楽しませてくれたミノーと、私まで本当にお別れする気持ちになってしまったのだ。不思議なことに。


 目が覚めて、もうミノーは戸口をノックしてやって来ないということが分かると、
 不思議な気がした。いままでいたものが無くなったという感じで、ひょっとすると、
 一生もう会えないのである。


こういう、はかなくて、危うい関係。時間。これが、本の終わりに近づくにつれて密度が濃くなり、淡々とした語り口であるのに、読者の心を捉えてはなさない。


続いて、自分の家の農園を見学させてくれた、マッキーも印象に残っている。ふとしたことから、庄野さんが農家の生活に興味を持っている事を知ったマッキーさんは、すぐに自分の家に招待して、農家の仕事(畑仕事や、乳牛、ビーフ・カウの世話、干草刈りなど)を見学させてくれたり、簡単な仕事を体験させてくれたり、夕食をごちそうしてくれたりする。その親切の一つ一つが、私には新鮮に思えてならなかった。親切を新鮮に思う、とは、いかに私が心の狭い、自分勝手な生活を送っているかが分かるようだ。
マッキーさんの奥さんや子どもたちも親切で、出てくる料理はおいしいそうだし、私はこの「マッキー農園」の章がとても気に入った。


登場する人々以外にも、私を魅了したのが、食べ物だ。とくに、庄野さんが誰かを夕食に招待したときに必ず出す「すき焼き」。ミノーや学生たちは、よくその肉汁をライスにかけて食べる、というのが出てくる。庄野さんの奥様が作られるすき焼きは、関東風だろうか。関西風だろうか。私自身の食べるすき焼きは関東風で、それには割り下があるので「肉汁」とは言わない。庄野さんは大阪出身であるから、割り下を使わずに焼いて食べるという関西風のすき焼きをふるまっていたのかもしれない。どちらにしても、登場するだけでヨダレが出そうになる・・・。


最後に、印象に残ったものとして、庄野さんの弟・至さんが胆石の手術をしたことを心配する場面について。診察を受けると、もうかなり悪くなっていて、もしそのまま放っておけば間違いなく亡くなるところまでいっていたという。身内の者みんなが心配して世話をしていたのを手紙で見守る庄野さんは、どれほど心配で心細かったことだろう。幸い、手術が成功して快復したという報せを受けた庄野さんは、


 よかった。もしも弟が死んだら、どうなっているだろう。
 弟の命を救ってくれたすべての目に見える力、
 見えない力に手を合わせて感謝したい気持ちである。


ここに、庄野さんの「日本人らしさ」を感じた私は、単純なのだろうか。

  
この本は、とても重要だと思う。
50年ほど前の、アメリカの田舎町。そこに住み、働く「普通の人々」を、ここまで細かく記している本は、そうないと思う。そして何より大事なことは、読んでいる者の心を温かくする力を持っているということだ。こういう本が、絶版になってしまうことはしょうがないとしても、図書館で除籍になってしまうようなことは、断じて許せない。国が、地方自治体が、何が除籍を認めても、私は認めたくない。その思いが、何の役にも立たなくても。