誕生日のラムケーキ

誕生日のラムケーキ

誕生日のラムケーキ

この本のタイトル「誕生日のラムケーキ」は、庄野さんの誕生日に、南足柄に住む長女の夏子さんが作って、送ってくれるラムケーキのこと。でも私は、最近の本では「以前はラムケーキをもらっていたけれど、今はアップルパイのほうが好きになったから、そちらを送ってもらっている」となっていることを知っているので、ああ、この頃はまだ、ラムケーキのほうがお好きなんだなあ、と思う。そういう、趣味や趣向、食べ物の好みの移り変わりが楽しめるのも、庄野さんの本の楽しみのひとつ。
ここでもアップルパイはでてくるけれど、それは奥様用。奥様はアップルパイがお好き。


この本は、随筆集。昭和60年に出た『ぎぼしの花』から6年かけて出された。
一番はじめに収録されている、おそらく毎日新聞に10回にわたって連載された短編が、とてもいい。2ページに満たないとても短い文章なのだけれど、そこで発揮される庄野さんの、日常の描写力は、本当に素晴らしいと思う。


特に好きなのが、「驢馬」という作品。友人の小沼丹さんから来た葉書について書かれている。
この前に読んだ『孫の結婚式』の感想でも書いたが、庄野さんの作品を読んでいると、ふっとおいしいものを食べたときのように広がる幸せを感じるところがあると思う。ふわっと広がって、さりげなく消えていく幸福。そういう幸せを、この「驢馬」という作品の中でも味わった。

庄野さんの勧めで散歩をしている小沼さんからの葉書に、散歩の途中で会った驢馬と山羊のことが書かれている。小沼さんは、驢馬や山羊のいる散歩コースにはご無沙汰していたので、久々に見かけて嬉しくなり、驢馬に声をかける。するとその驢馬が近づいてきて鼻面を出すので、撫でてあげたという。そしてその葉書は
「先方はどう思ったか分からないが、当方はまことによい気分でした」
という結びの一行で終わっている。
気持ちの良い散歩の中で、驢馬と触れ合う姿、そしてそれを嬉々として葉書にしたためて報告する小沼さん、そしてそれを、随筆としてひとつの世界に組み立て、私たちに届けてくださる庄野さんの、それらのつながりを思って、自然に顔がほころんでしまう素敵な文章だった。
それにしても、このような葉書を書いて送ってくれる小沼さんは、本当に面白みのある方だなあ、と思う。小沼さんの随筆などを以前読んだが、そこにも生活の中の面白みを見つける姿勢を感じられた。
このお2人の友情は、とても必然的なもののように思える。
小沼さんは残念ながらもう亡くなってしまったけれど、こうして随筆などで、日常の些細な幸せを残してもらって、きっと喜んでいることだろう。毎日のほんの小さな出来事を葉書に書いて友人に送ることは、なかなか出来ないけれど、とても素敵なことだと思う。私たちがメールでやりとりすること(これも、ほんの些細なことを報告したりするのだけれど)とは、きっと全然、質が違うのだと思う。うらやましい。


それから、この随筆集には、庄野さんの大学時代に親しくしていた島尾敏雄さんの追悼文も収録されている。私は彼のことが出てくると、彼の孫娘しまおまほさんのことが頭に浮かぶ。彼女の本やマンガ、書かれる文章が私はとても好き。彼女の父、そして島尾敏雄さんの息子である島尾伸三さんが撮影した『まほちゃん』という写真集には、小さいしまおまほさんと、元気な頃の島尾敏雄さんが一緒に写っている写真を見ることができる。つながっていると思う。