孫の結婚式

孫の結婚式

孫の結婚式

おいしいものを食べたとき、一瞬だけ口に広がる風味のように、ふわっと拡散してさりげなく消えていく幸福。庄野さんの本には、それに似た感覚を味あわせてくれる文章がところどころ存在する。私はそれを読み、一瞬だけ「ふわっ」と幸せになることができる。

例えばこの随筆集の中の「律儀で純真 若き日の島尾敏雄」。
九州大学時代に庄野さんが、大阪の母から送られてきた小豆と砂糖でぜんざいを作ってもらい「ぜんざい会」をひらくところ。
庄野さんは招待券を作り、親しい3人の友人に送った。その中の1人が島尾敏雄で、彼はその招待券をもって1番に庄野さんの下宿先にやって来て、
「本日はぜんざい会にお招きいただき、ありがとうございます」
と『アイサツ』してから部屋に入った。庄野さんは
「私より確か二つくらい年上の島尾には、そういう律儀で純真なところがあった。」
と書いている。そして続けて、
「『ぜんざい会』は大成功で、招待された者も下宿の主人も大よろこびであった」
と結んでいる。

私はこれを、学校の教室で読んでいた。先生が入ってくるのを待つ間の、皆のお喋りによる喧騒の中で、この話を読んで「あ!幸せだ!」と、思った。
それは、何かおいしいものを食べたとき「あ!おいしい!」と顔をほころばせるときの感覚に似ていた。まわりの喧騒が、とても静かになった気がした。
友達と食事をしているとき、私が「あ〜これおいしい!!」と喜ぶと、友達は「幸せな人だね」といってからかう。おいしいものをおいしがることは、幸せなことなのだと思う。
庄野さんの作品の中の、幸福を味わうことも。


さて、この前に出た随筆集「野菜賛歌」から丸4年たった、その間の随筆作品を集めたこの本の表題『孫の結婚式』は、いつ見ても素晴らしい言葉だと思う。この言葉だけで(この単語2つがくっついただけで)、人生の面白み、生きていることの充実感がしみじみと、けれどはっきり伝わってくる。庄野さんのタイトルのつけ方(もちろん編集者の方が考えていることもあるだろうけれど)は、天下一品だと思う。

この随筆集の中で私がとくに好きな作品が「夕食まで」で、これは例えば生きることがめんどうくさくなってしまったようなとき、自分が生きることを賛成できないようなとき、読むときっといい。というような文章だと思う。


「食べるのをたのしみに生きているから、日に三回、朝、昼、晩の家での食事がいつも待ち遠しい。朝のトーストとコーヒー、りんごとお茶がうれしい。昼のハムサンドイッチと紅茶と温野菜、グレープフルーツとオレンジもうれしい。いつもきまったものが出るが、そこがいい。変わらないというのがうれしい。」


という冒頭の部分を、口に出して読めば、きっとそれは何よりの特効薬になるだろう。

最後に、いつも生活のなかの「面白み」「喜び」などを拾い上げて書く庄野さんが、知人の死を除いて、あえて書く「幸せ以外このこと」(結果的にはその後の幸せをかみしめることに繋がるのだが・・・)の、ご自分のかつての病気について。この本の中でもいくつか書かれているが、中でも「ゆっくり歩く」は、発病したときのことを克明に書いていて、思わず身震いしてしまう。
本当に、生活の中の幸せなんて、はかなく、もろいものだ。ちょっとした風にも吹き飛んでしまう。
それでも生きているのは、日々のおいしいものをおいしいと、味わうことができるからだと思う。

ここに収録された江國香織さんとの対談は、両人のファンにとってはドキドキする大事件。
2つの時代が一瞬くっついた気がした。