シェリー酒と楓の葉

この夏休みに、2回読んだ。
理由。このお話の舞台はアメリカのオハイオ州ガンビアで、登場する人物名はいろいろな国の、どれも外国の名ばかり。それにガンビアは小さな大学町で、住んでいる人々はほとんど大学の関係者だから、名前の前に「英文学の主任教授のサトクリッフさん」だとか、「物理のエリオットさん」だとか説明がついて、ただでさえ記憶力がなく、頭の回転の遅い私はだんだん誰が何で、どういう人だったかわからなくなってしまう。結局、全員の名前と性格と家族と家の位置と顔(これは私の想像上のものだけれど)が私の頭の中で定まったころには、もう本は終わりに近づいていた。
このままお別れするのは寂しいと、もう一度本のはじめに戻りたくなったのだ。

オハイオ州ガンビアで過ごした時期の記録としての作品は、この「シェリー酒と楓の葉」の前に1冊「ガンビア滞在記」があるのだけれど、私はそれをまだ読んでいない。そちらから読めば、もっとすんなりこのガンビアの世界に入っていけたのかもしれないけれど・・・。それにしても、最初は戸惑った。長いこと庄野さんの「夫婦の晩年を綴った小説」に慣れ親しんでいたから、同じように日常を描いたこの作品でも、舞台がアメリカで、登場人物がほとんど英語で話すことに、なかなか慣れなかった。おかしな癖がついたものだ。
けれど、それはやはり庄野さんの筆の力で、私は登場する人物たちの誰もが大好きになり、日本に居ながらにして、ガンビアを離れたくない変な切なさが襲った。

タイトルにもなっているとおり、たびたび登場するのが、シェリー酒。
庄野さん夫婦が住んでいた「白塗りバラック」と呼ばれる木造平屋の簡易住宅で、隣りに住んでいるエディノワラさん(のちにミノーと呼ぶようになる)がよく、そしてとても頻繁に「シェリー酒を飲みに来ないか」と誘いに来る。これに限らず、この町の人々はとても社交的で(アメリカの田舎町的と言うべきか?)、毎晩のように夕食に招いたり招かれたりしている。疲れてしまわないのかしら?と私なんかは思ってしまったが、小さな子どもたちを日本に置いてきた庄野さん夫婦にとって、寂しさがまぎれて良かったのかもしれない。
話は戻るが、そのシェリー酒がまたとてもおいしそう。何度も何度も登場するので、こちらも勝手に想像をふくらませてしまう。そしてその想像の味は、当然うっとりするほどおいしいお酒なのだ。
しかしミノーが出すシェリー酒は「ペトリ」と呼ばれる、カリフォルニア産のシェリー酒の中で一番値段の安いもので、ミノーが言うには「ペトリは猫の小便のような臭いがする。これを飲むには、鼻をつまんでひと思いに喉へ流し込む必要がある」という。相当ひどい味だろう。でも、一度は飲んでみたい。