鳥の水浴び

鳥の水浴び

鳥の水浴び

庄野さんの、晩年の日常を綴った作品を読むのは、久し振り。
時間が経って、このシリーズに帰ってくると、本当にホッとするのだ。
よく、庄野さんの作品を好きな方が「読み返してみるとホッとする」だとか、「やっぱりいいなと感じる」だとかおっしゃっているが、私も今回、それを体験した。
この本を読んでいることが、なによりも幸せ。そういうふうに思わせてくれる本だ。
やっぱりいいな。

さて、今は夏。この本は、秋のお墓参りに大阪に行くころから始まって、冬を過ぎ、夏を過ぎ、そしてまた初秋へと戻る流れが描かれている。読んでいる私が過ごしているのは、毎日35度を超える猛暑。けれど、庄野さんの本を読んでいると、簡単に秋や冬を思い出せる。
その季節に、散歩をしているような気持ちになる。不思議だけれど。

とは言え、意識は涼しい秋や冬にワープできても、さすがに体は暑さにバテてしまう。
そんな私を励ますように、いつも元気なのが、本に登場する庄野さんの長女、夏子さんだ。
私は初めて庄野さんの本『貝がらと海の音』を読んだ時、登場人物の中でいちばん好きな人は、フーちゃんだ、と思った。無口で、こんちゃんからの電話にも「はい」とか「文子です」だとか、一言しか返事をしないのだけれど、工作や絵を描くことが好きで、よく手紙をくれる。そんな可愛らしい彼女が大好きだなあと思った。庄野さんも、作品の中でよくフーちゃんを書いている。
けれど最近、私が庄野さんの本を読んでいて、その登場を待ちわびるようになっていることに気がついたのが、夏子さんだったのだ。

例えば「長女、来る」とか「長女からのハガキ」だとかの文が出てくると、こちらの気持ちが、
わあっと盛り上がって、ワクワクしてくる。必ず、面白い表現やおかしなエピソードが聞けるし、読めるということが期待されるから。また、手紙などには庄野さんご夫妻に対する愛情や感謝の気持ちがあふれていて、いつもじーんとしてしまう。そして、元気になる。

夏子さんのパワフルな言葉や言動は、まるで夏に食べる鰻のようだ。
「スタミナ」がつく。読んでいるだけで、こちらの体がパワフルになる感じ。この本にも、夏子さんの次男の良雄さんがロンドンに出張に行っているのを訪問する夏子さんや、長男の和雄さんの結婚式に張りきる夏子さんの姿が登場して、暑さにあえいでゴロゴロしてしまう私を力づけてくれた。憧れの女性だと思う。

そのほかにも、私を元気付けてくれる楽しいお話がたくさんあった。小学校入学に際して、学習机を買ってくれた庄野さんに対して、お孫さんのけい子ちゃんからお礼の手紙がきたところ。けい子ちゃんはいつも庄野さんの奥様を「こんちゃん」と呼ぶのに、その手紙では
「じったん、ばったん!つくえ、どうもありがとう。」
と書かれている。「じったん」に合わせて「ばったん」としたのがうかがえるけれど、その後の「!」マークが、小さな子どもらしくて微笑ましい。むこうから走ってきて、突然「じったん!」と声をかけてきたみたいに感じられる。小さい頃、私も、文の内容に関係なく、いたるところに「!」をつけていたことを思い出す。子どもには子どものスピードがあるのだと思う。

遠い未来を思ったところ。
庄野さんの図書室に置かれているベッドの下を掃除したところ、『小泉八雲全集』の第6巻と第8巻が出てくる。奥付を見ると、昭和12年1月となっている。私から見れば、その年は遥かに昔に思えるのだけれど、庄野さんにとっては学生時代の懐かしい思いが喚起されるような年月だろう。私が今手にしているこの本も、年月が経ち、私よりも何十歳も若い青年達に、「そんな昔の本!」とびっくりされるくらいになるまで残したいと思う。そして、その本の奥付を見ながら、
今日の暑い日を思い出すような日まで、私は生きていきたいと思った。