絵合わせ

絵合せ (講談社文芸文庫)

絵合せ (講談社文芸文庫)

 家族の誰かが出て行ってしまう前の、寂しいような、でもそれを認めたくないような、
 不思議なひととき。
 それを、私はわかる。姉が出て行ったからだ。
 我が家の場合は、この作品の中の「和子」さんのように、ご結婚で、というわけではないが、
 私が高校生のとき、姉が1人暮らしを始めるため、家を出た。


 姉が引越しの準備を始め、新しい家の話をし、家具を揃え、私の部屋にある姉のものを全部持っ
 て行かれてしまうと、なんだか心もとなくなってきた。
 早く行ってしまえばいいのに。全然さみしくないし。このゴタゴタが早く過ぎて、普通の生活が
 送れるように、早く出て行ってくれればいいのに。
 そんなふうに思っていて、私は全然、姉に協力的ではなかった。
 引越しが終わったある日の朝、起きてトイレに行こうとして、がらんどうの姉の部屋を見たとき
 の空虚な気持ち。開放感。喪失感。あれは忘れられない。
 姉はあれから一度戻ってきたり、帰らなくなってまた出て行ったりして、結局もうこの家の住人
 ではなくなった。でも、それに慣れるまでの、家族の形が変わる奇妙な時間は、忘れられない。


 5人でするのにちょうどいい「絵合わせ」の遊びは、その奇妙な別れの時間にぴったり、という
 より、そのもの、とでもいうべきものだと思う。
 「引っ越してしまったら、絵合わせが出来なくなる」と呟くことは、姉がいなくなってしまうこ
 との寂しさを物語っていて、切ない。


  私は小学生から中学生にかけて、白い文鳥をつがいで飼っていた。
 でもその2羽はだんだん、空気のようになってきて、ただ菜っ葉をやり、水浴びや飲むための水
 を取替え、寝るころに鳥かごに布をかけてやるだけの存在になってきた。
 みんなが思っていた。「キミタチハ、ウチニイテ、シアワセカイ?」
 ある日、帰ると、鳥かごがなかった。
 母が、文鳥を欲しがっていた知り合いに譲ってしまったということだ。
 私は泣いた。何でだかわからないけれど、大泣きした。私は世話もろくにしなかったし、無精卵
 ばかりあたためている鳥たちを見ていると、悲しくもなった。
 でも、勝手なことに、鳥がいなくなって、とても寂しかった。私の生活じゃなくなると思った。
 そういうことを、「絵合わせ」の和子さんの結婚や、最後に出てくるセキセイインコが、思い出
 させた。
  私もいつか、家族にそんな気持ちをさせるのだと思う。