梅雨の晴れ間のたくさん


金曜日、娘と暑い中フーフー言いながら
自転車に乗って、少し遠い公園へ。
というか、そんなに遠くないのに、
私が驚くべき遠回りをして、遠くなった。
仕方なく、近くでお昼ご飯を買って、
まず食べてから遊んだ。



見晴らしのいい公園から見えた、すごい雲。



この日、申し訳なかったお詫びと
遊ぶ元気回復のためにジュースを買って
娘に飲ませた。
その残りを冷蔵庫に入れていたら、
今朝娘に見つかって、飲ませなかったら
ものすごいギャン泣きだった。当然だ。
「ホットケーキを一緒につくる、でどうですか」
と交渉して、承諾してもらった。
見た目はともかく、上手にできて美味しかった。


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保育園に行っていたとき、こどもの日のお祝いで
園からもらったブロック。
やっと最近、娘ひとりでも熱中して
楽しめるようになったみたい。
よく、要塞みたいなのを黙々と組み立てている。


これは、
「へびがなんかたべてる(笑)」
というタイトルらしい。
(ふくみ笑いのニュアンスつき)
何食べてるのかきいたのに、忘れてしまった。
ごま塩ご飯だったかな。娘の好物の。
(娘は「ごままんま」と呼ぶ)

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引っ越して数日後、鍵を忘れたまま
外出してしまい、入れなくて
真っ青になったことがあった。
(実家にいたころは何度もやった…)
娘もつれていて、しかも娘はなぜか
靴も履いてなくて抱っこで、私は携帯も財布も
なくて…ひどい有り様。
結局、事なきを得たのだけれど、それから
しばらく、外出するときに2歳の娘に
「かぎは?」
ときかれるようになった…


しっかりしなくては。
しかしありがたかった…

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花子とアン」。
私は小学生から読み始めた村岡花子訳の
赤毛のアン」が好きで、思春期の間
水を飲むみたいに彼女の言葉を読んで育った。

最初は、このドラマでいろんな登場人物たちが
アンやアンのまわりの人たちの話した言葉で
人を励ましたり励まされたりすることに慣れず、
戸惑っていた。
アンの物語に出てくるエピソードを取り入れたり
しないで、村岡花子さんだけの歴史を純粋に
知りたいな、とも思ったりした。


でも今は、人生において共通点がとても多い
アンと出会うまでの花子の日々に、
アンがそこかしこに楽しく飛び跳ねて存在していたら
本当に面白いだろうな、そんな気持ちになった。


私は小学生で初めて読んだとき、
「アンは私だ…」
なんていう気になったりして震えたのだけれど、
たぶん「赤毛のアン」ファンだった人って
たいてい同じで、だからそういう意味も
このドラマには含まれている気がする。


いまでは、出てくる人たちみんな大好きな
楽しみなドラマである。ああ楽しみ。


そんなことを考えているうちにふと、
アンの止まらないお喋りに閉口した大人がよく
「後生だから黙っておくれ」
と頼んだり叱ったりする場面が出てくるのを思い出した。
まさに私も毎日、娘に同じようなことを言っている…
と気づいて、愕然だった。


いま読むと、心を寄り添わせる場面や人も
昔と違うんだろうな。

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おひさまとおつきさまのけんか

おひさまとおつきさまのけんか


図書館で借りてきた絵本。


けんか相手のおつきさまに向かって、
おひさまが唾を吐いていて度肝を抜いた…!
さすがせなけいこさんだ…


終わりかたが、なんとなくしんみり、
少しいろいろ考えさせられてしまった。
そう見ると、争いの醜さをすごくわかりやすく
描けているのかもしれない。