黒目とウッシシ



写真は、今頃だけど
バレンタインに娘と作ったお菓子。
(正確には、市販のお菓子に
市販のチョコペンでデコレーションしたもの。)
娘のデコレーションの総仕上げは、
チョコペンを刺す、という斬新さ。
これは、じいじにあげたバージョン。
袋に描いたじいじの絵も娘作。
(輪郭だけ私が描いた。)


といいつつ、
気がついたら3月ももう終わり。
「笑っていいとも」は残りあと1回。
ごちそうさん」は終わってしまった…。


いいとも、金曜日の最終回は、
関根勤が終始さびしそうな顔をしていて
きゅんとしてしまったが、
黒柳徹子にたくさん励まされた。


個人的には、最終回までに
大橋巨泉柳沢慎吾が見たかった。


でも、小沢健二タモリが並んで座り、
小沢健二の歌をしみじみ聴くタモリ
見られたなんて、とんでもなく素敵な
プレゼントをもらった気分だった。
そしてあの切なく懐かしく、
でもやっぱり新しく感じる
たくさんの歌たちは、
びっくりするくらい全部、まさに
タモリといいとものさよならのための
歌だったのだとわかった…


とくに「さよならなんて云えないよ」は
自分の人生でも、生活が変わるときや、
職場を辞めて仲間たちと離れるとき、
その折々で聴いて心にピタッと
寄り添ってくれていた、私にとっても
大切な歌なのだが、
そんなふうに、あらゆる人にとって、
(タモリといいともであっても)
本当に普遍的な歌なんだろう。


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売り主さんの都合で延びに延びていた
マンションの契約が、やっと終わった。
サインに次ぐサイン。
押印に次ぐ押印。
割り印に次ぐ割り印。
すごいなあ、あの仕事してる人…。


しかし思い出したが、昔私も
全然種類は違うけど、
そんな感じの仕事をしていた時が。
とくにこの時期は、一日中、
割り印に次ぐ割り印だった…
思い出したら気が遠くなった。
今年はとくに大変だろうな…


今日は風邪っぴき親子で
新居を見に行ってみた。
元気に押し入れの中で遊んだり
ベランダでジャンプして大笑いしている
娘にとても励まされた。

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この間、公園で遊んでいたら、
娘の名前を呼ぶ声がして、見たら
昨年通っていた保育園の先生だった。
娘の元クラスメイト?とお散歩にきていた。
いまでも話に出るんだよー
一緒にいたら、きっと違ってただろうね~
と。覚えていてくれただけでもびっくりした。
でも、そうだろうな。
子どもが園に慣れるように、さびしくないように、
ご飯あげたり、お昼寝させたり、
数ヶ月だけど毎日生活を共にしてくれたのだものな。
その繋がりの濃さと、
あたたかいご縁に感謝した。


そして、もしあのまま頑張って
保育園にいたら?
ということを、つい考えた。
親子、母親ということだけは別として、
同じくらいのあたたかさをあげられたのかな、
この数ヶ月…
なんだか胸がチクチクしてしょんぼりと
しかけたけど、もしこうだったらなんて
いうことは、考える必要のまったく
これっぽっちもないことだと思い返してみた。
癖になっててなかなか難しいけど、
娘が産まれてからは、この考え方の訓練を
毎日のようにさせてもらっている。
しかも、娘のことに関しては、この切り捨てを
比較的バッサリ気持ちよく出来るので、
ありがたい。


園でロッカーが隣りだった男の子もいて、
とても懐かしかった。
大きくなっていた。
2歳児までの小さな園で、入れ替わりも
多かったみたいだけど、
娘と一緒に入った子達はみんなそのまま
残っているそうだった。
4月からは、みんなそれぞれ別々の
保育園に行くのだろうな。


娘は、当然かもしれないけど、
いまいち覚えていないみたいで、
少しさびしい気もする。
あの、毎日少しずつ慣れていった園生活、
思い出すときゅんとくる。
4ヶ月分の連絡帳はずっと取っておこう。

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娘、最近似ているものを連想して
言うことが多い。
絵本『カニツンツン』の中の
「ウッシシ」
をきいて
「モーモーみたいな、ウッシシ」
と、牛を連想したり
(母は大橋巨泉を連想…)
ヨーグルトに混ぜたきな粉のかたまりを見て
「カボチャじゃなくってー、き・な・こ!」
と言ったり。
(黄色くてカボチャに見えたみたい)


それから、ここ数日で急に
いろんなものを指差して
「これは」
「これはなあに?」
と言うようになった。
辞書のように、無機質に当たり前の
回答(わかりやすく)をしてみても、
何となく娘は
「求めてるものはそれじゃない」
という風な感じで、言ってみればすべった状態。
でも毎回夢のあることはとても言えない。


公園の遊具であそんでいるとき、
ロープの繋ぎ目の金属部分を指して
「これは」
ときかれたが、なんといっていいか
わからなかった。
「ま…まるい…ものだね!」
としか言えなかった…
そのあと、考えて
「ロープのおともだちで、手をつないで
仲良くくっつけているんだよ」
とか言ってみたけれど、よけい空々しかった。


難しい。


しかし、疑問系じゃない娘の
「これは」
という問いかけ方が、問い詰められている
威圧的な雰囲気があって、なんだか
毎回「嫌いじゃない」と思う。



娘が描く顔の絵に、最近なんとなく
黒目風の点々が入るようになった。


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今日見たのが、最後の「ぱわわぷたいそう
だったらしい、よしお兄さん。
(月曜から新しい体操。)
9年間もずーっと「ぱわわぷ」をやってきた、
そのことに心が震えて頭が下がる!
そしてよしお兄さんは私と同い年だった…
頭が下がる…
ありがとう、ぱわわぷ!!