7ヶ月・動くものと動かないもの

こぐまちゃんおはよう (こぐまちゃんえほん)

こぐまちゃんおはよう (こぐまちゃんえほん)


この絵本は、私が大学生のときに買った。
こぐまちゃんシリーズの中でも好きな絵本。
これを自分の娘に読んであげることになるとは思わなかった・・・。
娘はこれが好きで、よくバンバンと絵を叩いている。
そしてページを掴んでくしゃっとしている。
おかげで近頃こぐまちゃんがところどころ白くなってきた。
娘にとってこのシリーズは、はっきりした線と色合いがいいのかもしれない。
字の雰囲気もなんともいえなく好きだ。
購入後10年越しで、読者カードを送ってみようかと思ったが、
購入した店を書く欄でペンが止まった。覚えていない。
たぶん新宿にあった青山ブックセンターだった気がするが、
もうそのお店はない。遠い気持ちになった。


娘、7ヶ月に。
おとといくらいから、うつぶせの状態で移動するようになった。
まだハイハイともずりバイとも言えない不思議な動き。
赤ちゃんによっていろいろな動き方があるみたいだけど、
うちの場合は顔面とひざを使って移動する感じらしい。
顔で支えながら、お尻を非常に高く持ち上げて、
お尻が落ちたところに移動するか、尺取虫みたいにちょっと前に
進むか、そんな感じだ。
娘1人の力で移動するなんてすごいことだ。
顔面が痛くないのか心配だが、顔をあげた瞬間を見ると、
運動部の中学生みたいに爽快な顔なので安心する。
(運動部に入ってなかったのでイメージ。)


仰向けのまま、足で上に移動していくのは、もうお手の物。
今日はお風呂の準備中に、洗面所に寝かせていたら、
移動して流しの下の棚と床の間のスペースに頭を軽く挟んで
切なくなったのか泣いていた。気をつけないといけない。


お座りもだいぶ上手になって安定してきた。
しかし先日、後ろに倒れて畳に頭を打った。
泣いただけで大丈夫だったのだが、痛そうだったので気の毒だった。
こういうことがこれからたくさんあるんだと思う。
私もよくよく気をつけよう。


お風呂から出て、娘を待たせて急いで自分の着替えをしていたら、
前ボタンの服の、本来首を出すところじゃない場所
(第一ボタンが止まっていて、そこから下の開いていた部分)
から首を出してしまい、
「あ、ちょっと二人羽織の前の人みたいになっちゃった・・・」
と言って笑ったのだが、娘は当然、笑わず手足をバタバタして
遊んでいた。いつかは2人でアハハと笑いあうような日が
くるのかなあと思いを馳せた。
しかし、娘が二人羽織は知るのはいつだろうか。
私はいつ知ったのだろうか。自然に知っていくのだろうか。
そう考えると、不思議な気がする。いろんなことをイメージして、
生活の中で面白く思える瞬間がたくさん訪れるように
(それはもちろん自分の中だけクスッとすることであっても)、
多くのことを知るきっかけがあるといい。
そしてそのきっかけは本でも、漫画でも、何でもいい。


それと同時に、テレビで誰かが話しているときに、絵や写真やアニメーションが
出てきて説明する手法がここ数年たくさんあるが、そのうちそれが出ないようになると
いいなあと思う。私は(昔からしつこく言っているが・・・)あれがとても嫌で、
あれで話の面白さが3割くらいまで減少すると思っている。
名前だけではピンと来ないものの写真が出て、ああ〜と思うことはあるけど、
わからなくてもいいような気もする。
たとえ、聞いている人のイメージが間違っていたり、話している人の
実際のこととは違う雰囲気をイメージしても、それはそれでいいし、
その人にとってはそれがとても面白いと思う。
それは本の世界にも言えることで、これだけ小説や児童文学や、
そして漫画でさえもすぐに映像化されてしまう現在は、そういうイメージは
どうなってしまうのだろう、と少し思う。


「すべらない話」なんかは、そういうことが言いたい、したい番組という気もする。
ただ人の話をきくだけで、みんながとても面白いということ。


でも、こういうテレビや本は嫌だからダメだから見せたくないというふうには
あまりなりたくないなあとも思う。
あまり強いこだわりというものを持ちたくない。
というか、これも産む前の考えと違うのだが、あれこれ詳しく考えず、
行き当たりばったりで育てるのもいいのかもしれないと思う。
ただ単に、余裕がないからかもしれないし、ずぼらだからかもしれないが・・・。
実家の母親は、あまりこだわりなく、子どもが見たいと言っている番組は
見せてくれた。そういう方針だったわけでなく、ただただこだわりがなかったのだ。
そしてある日
「今日保護者会行ったら、先生が○○っていう番組は
 教育に良くないから見せない方がいいって言ってたよ」
と急に不安そうに教えてくれた。そんな感じでもいいのかもしれない・・・。
自分も小さい頃は、あまりこだわりなくいろいろなものを見て
育ってきたことを思う。


二人羽織ハプニングから、こんなところまで頭が動いた。
娘のハイハイの動きみたいだ。

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出身大学の資格課程の研究室から、定期的に冊子が届く。
この間は、それに後輩(といっても10歳ほど年の離れたなんの面識もない方・・・)の
就職活動や試験の体験記などが載っていて、ああ頑張っているなあと思った。
そしてなんで自分はもう少し頑張らなかったのか、あのとき頑張っていれば、
今はもう少し違ったかも、そして少し楽だったのかもと思ったりしたのだが、
でももし道が違っていたら、ダッフルさんに会わず、結婚もしていなかったんだなあ
と気づいた。
そしてそれをダッフルさんに言ってみたら、
「あーちゃんもいなかったぞ」
と言われて、ああそうだよなあと思った。
そう考えると、人の力って本当にすごいものだ。
自分だけの、その物事だけのことを考えれば、過去未来、いろんなところに
「もしも」の手が伸びるけれど、実際は人と人との関係でがっちりどっしり、
ちゃんと根付いている。
私は今ここにいて、動けないし、動きたくない。
そういうことを、大切な人たちは思い出させてくれる。

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今日、娘をつれて公園を散歩していたら、たくさんの赤い実をつけた
やまももの木に、こちらもたくさんの椋鳥がいて、夢中で実をついばんでいて
かわいかった。しばらく見上げて楽しんだ。
梅雨の晴れ間。