腹鼓

新しい人が入社してきた。
一人は新卒で、自分の入社したときのことを思い出した。
でも自分のときより、ずっとしっかりして、だいじょうぶな感じだった。
同期と一緒に振り返りたかったなあ。


気がつくとすぐに、一人ぼっちの気分と、不安な気持ちと、
時間がもったいない、という気持ちに苛まれて占領されそうになる。
そういうときに、自分で強制的にポジティブな気分を持ってくると、
のんびりのんびりやろうと言い聞かせると、たいていのことは
大げさじゃなくて大丈夫になってくる。
どれだけぶれても、不器用なやりかたでも、毎日同じところに持ってこよう。
そういうことがすごく大事だということは、周りの人にとっても、
自分にとっても同じことだ。
それをずっと自分に言い聞かせる。
そういうことが、頭じゃなくて事実としてわかってくるということは、
やっぱり生きていて、経験してきたということが大きな財産になるということだと思う。
得るものがたくさんあるということだ。
こんなことを思うなんて嘘みたいだけど、だんだんとそう思うことが増えていくことも、
やっぱりどこかで知っている気がする。


昨日作ったカレーを温めて、ご飯を炊いて待っていてくれる
ダッフルさんがいるだけで、ほかに何を望んで焦る自分がいるのだ!
そう思いつつも、また明日もきっと焦るだろう。
また直せばいいのだ。


帰りの電車の中では「文学交友録」。
ミルンの随筆のことについて書かれていて、読んでみたくなった。
庄野さんが影響を受けたという、イギリスの随筆はいつかまとめて読んでみたいと思っている。


この間実家に帰ったときに、ふと手にとって持って帰ってきた本が、
川本三郎さんの「郊外の文学誌」。
大学生のときに買った本で、ところどころに鉛筆で線が引いてある。
読み返している。面白い。


「文学交友録」の中にも、1行だけ、しかも蛍光ペン(ピンク色)で
線が引いてあるところがあった。
本に線を引くって、すごくエネルギーのあることだと思う。
そのときだけじゃなくて、ずっと後にまで残るエネルギーだ。



「何でもないようなことのなかによろこびの種を見つけて、
 それを書いてゆくのが私の仕事だ」  
                −「文学交友録」庄野潤三