俺の原稿の半分はチーズバーガーでできています。

ダッフルさんに家でよく、
動線に物を置かないで」
と言われる。
部屋の入り口とかに物を置いてしまうから。


仕事がみんなして終わらないのは、仕事が多すぎるからなのか?
全員の要領が悪いからなのか? だんだんわからなくなってきた。


帰りの電車の中で、庄野さんの「貝がらと海の音」を読み終わる。
久しぶりに読み返してみて、本当に良かった。あらためて感動した。


江國香織の解説もとてもいい。
すごく上手に、完璧に書けているなあ!と思う。
読者の感じているなんとなくのことを、誰にでもわかる
言葉や表現で示している解説の書ける人は感心してしまう。


江國香織の解説の中で、


『私がうっとりするのは、たとえば夫婦のやりとりも「老い」のかすかな認識も、
 一冊の小説の中で、庭に巣を作ったきじばとや、「なすのや」が間違えて持って
 きた三色のすみれと同じ比重で描かれるということ。そのストイックさが、物語
 を、あるいは世界を成立させている。』


ということを書いているところが一番印象に残った。
庄野さんの小説の「物語性」を、一貫してずっと書いていた。
児童文学にも詳しい江國香織のこういう文章を読んで、あらためて庄野さんの
小説を読むと、本当に興味深くなる。
平易な日記体の文章のようで、バランスや、文体や、あらわしかた、
何を取り上げるか、何かに固執して深く取り上げたり長く書き続けたりしないで、
すべてのタイミングと体重を量りながら並べていく、なんていうか、繊細な作業を
見ているような、そんな目で見られると、改めてとても関心が深くなる。


もっと読みたくなる。


手探りで暗闇を歩くみたいな、不安な日々に手を引いてくれたような庄野さんの
本だ。ありがとう。疲れて重い頭で、電車の中で本をひらいたとき、
ばらを届けに清水さんが坂をのぼってくる描写がまず現れたときは、
なんだか本当に一瞬で心が解凍されていくのが、感覚でわかったようだった。


こういうことは、生活は、送ることも難しいし、書くこともむずかしいことだ。


次は「文学交友録」を読み返す。