さて、明日は何をしよう

3びきのくま (世界傑作絵本シリーズ)

3びきのくま (世界傑作絵本シリーズ)

あけましておめでとうございます。




クリスマスイブの日にジブリ美術館に行ったのだが、

そのときの企画展示が、この「3びきのくま」絵本をモチーフにしたものだった。

あの絵本の中に登場するくま家族の家がそのまま再現されていて、

3びきのくまも見事にそこにいて、圧巻であった。



この絵本はうちにも小さい頃からあって、好きだった本。

いすに座ったりベッドで寝たり、小さい女の子が自分にぴったりのサイズを

見つけるところ(お父さんくまでもなく、お母さんくまでもなく、ちいさいくまのこ)の繰り返し

がとても好きだった。

そしてなんと言ってもあのスープのおいしそうな感じ。



絵本の解説や、展示物などもあって面白かった。

ダッフルさんも、見ていてしばらくたってから、

「ああ、このお話知っていた!」

と思い出していた。

小さい頃にダッフルさんが絵本を読んでもらったり、お話をきいてもらったり

していたことを想像するのはちょっと難しい。

でも想像がうまくいくと、男の子ってかわいいものだなあと思って、

いとおしくなる。



バスネツォフの絵がとてもすばらしくって、

トルストイのお話の語り方と再話の仕方も本当にすばらしく、

きっと訳もとてもすばらしいのだと思う。

この絵本は本当に最高傑作の1つだと思う。



このお話はこの絵本がいちばん、とずっと思っていたけれど、

調べてみたら「瀬田貞二・訳 丸木俊・絵」という絵本があるらしく、

それもとても見てみたいと思った。探してみようと思う。

すごく素晴らしそうな絵本だった。





今日はのんびり昼頃起きて、父と母と3人で近くの神社へ初詣に行った。

人が並んでいて、列に加わったらみぞれが降ってきて寒かった。

順番が回ってくるころには晴れ空に。

並んでいる間、父がダウンの襟元をごそごそしていたので

どうしたのかと思ったら、隠れていたフードがさっと出てきたので驚いた。

フードが収納されているとは知らなかった。うらやましかった。

父は鼻をかんで、とても寒そうだった。

母が



「お父さんの顔を見てると・・・寒々しいね・・・」



とつぶやいていて笑った。




おみくじをひいた。

母は大吉。私は末吉であった。



「籠の中にいた小鳥が放されて自由にとび歩く様に

 苦しみを逃れて楽しみの多い身となる運です

 世の為め人の為めに尽くしなさい

 幸福まして名もあがります」




「恋愛」のところを見てみたら、

「深入りするな」

と書いてあったのを母に報告したら笑っていた。



記念写真をとりあって、そのあと母と買い物へ。

お魚をたくさん食べた。



夜、元旦の夜中にまとめて再放送していた「世界ふれあい街歩き

をビデオにとっておいたものを見た。この番組本当にいいな。

特に良かったのは、チェスキー・クルムロフ。山本太郎さんの声。

行ってみたいな! 行ってみたいな!

観光とかしなくても街を歩くだけでいいな! ちょっと街を歩くだけ。

ブルタヴァ川の岸辺を歩きたいな! 橋の上から川を見たいな!

壁のだまし絵を見たいな!

3連休で現地は日帰りでどうかな・・・と無茶な想像をして楽しかった。

いつか行きたい。

それからチェコ語って本当にいいなあと思った。

とくにおばあちゃんのチェコ語がいい。

登場した子どもたちもみんな良かった。

それから、お城の中にあるという、客席が回る劇場にもいつか行ってみたい。



書きそびれていたこと。

■12月のはじめ頃、「山のトムさん」(石井桃子著)を図書館で借りて読んだ。

この素晴らしい題名どおりの、本当に素晴らしい本で、一気に読み終わった。

実体験をもとにした敗戦直後の開拓村での生活を、飼い猫のトムとの暮らしをとおして

書かれたもので、それが実に実に実にリアルに描かれていて良かった。

そして中にも面白みがたくさんあって、その面白みが本当に大切。

それから、猫ってこういう生き物なんだ、ということも、本なのに生々しく伝わってくる。

また読みたい。

石井桃子さん、朝日賞受賞おめでとうございます。

新聞に載っていたインタビューがとても素敵だった。

「大人は深入りしないこと。どうのこうの言わない方がいいんじゃない?

 これを読みなさいと言わなくても、かつら文庫の子どもたちは夢中で

 読んでいましたから」

「子どもの本と大人の本。区別ははっきりしてきたようでありながら、

 私はまだ道筋の途中にいて説明できない。大人と子どもの間をふらふら

 と歩いているのです」



子どもに押しつけない。だからこそ、かつら文庫や

東京子ども図書館などの、良質な本がたくさん置いてあり、

自由に子どもたちが手に取れる場所が本当に必要だと心から思う。

思う存分選んで、見つけて、気に入ってもらうことのできる場所。

大人のできることをがんばって、でもそっと行うって、すごく素敵なことだと思う。



■ホルトハウス房子さんのこと。

11月の終わりに家にひとりでいたとき、ふとテレビをつけたら

教育テレビの「おしゃれ工房」で、料理研究家のホルトハウス房子さんの特集をしていたのを見た。

ホルトハウスさんの家を紹介するというもの。

クウネルの台所特集の号でも紹介されていたが、この雑誌に掲載されていた台所の中で

ずばぬけてダントツに素敵だなあと思った台所を持つ方だったので、興味があった。

それなので、喜んでその番組に見入って、後日本屋さんでテキストも求めたのであった。



とてもきれい好き(汚れたままが大嫌いというようなことをおっしゃっていた)

で、ピカピカに磨き上げられたキッチンだけれど、でもあたたかみがある。

自分の指紋までツルツルに磨き上げられちゃうんじゃないかっていうような

怖いきれいさ・清潔さじゃなくて、おいしいものを作る台所のきれいさ・清潔さ。

あたたかみもあって、センスが良くて、お気に入りのものがたくさんある愉快さ。

本当に素敵な台所だと思う。



出演者が「きれいに保つのは大変じゃないですか?」「手間がかかりませんか?」

というようなことを訊いても、

「あら、訳ないわよ」

と、さらっと答えていて素敵だった。

その「訳ない」という言い方がとても良かった。



■31日、大晦日に渋谷のbunkamuraミュージアムへ出かけ、

アンカー展 故郷スイスの村のぬくもり」を1人で見に行った。

前からずっと行きたかったので、やっと行けてうれしかった。

駅のポスターなどで、一目ぼれした人もたくさんいるのではないだろうか。

本当にすばらしかった。

そして思ったとおり、子どもたちの表情やしぐさや洋服や雰囲気が

どれもかわいらしく描かれていたのだけれど、思っていたことと違ったことは、

かわいさを描いているのではなくて、子どもらしさというか、そのままを描いているのではないか

ということ。そのままを描くということは、私たちが子どもを見て感動したりかわいらしいと感じたり

する瞬間、定義を描いているので、私たちは観て、かわいらしいと感じる。

かわいらしさを描いていたら、きっとそうはならない。

きっと子どもを本当に良く見て、大好きに思って描いていたのだと思いながら見ていた。



そして私は不勉強なまま見に行って知ったのだが、アンカーは子どもの教育についても

深く興味を持ち、携わっていたことを知った。

フランスの教育が、それまでの権威主義的なものから、子どもの主体性や個々の個性を

大切にするものへと変化していく過程の中で、アンカーの絵にも子どもの描き方に

新しい子どもの捉え方が反映されているようだった。

とにかく、絵に登場する一人一人の子どもたちが尊重されていて、どの子どもをとっても

表情のない子がいない、そこにいる意味のない子がいない、そういう目で描かれた絵。



アンカーが子どもと同じくよく描いたと言われる、老人の絵もとても良かった。

老人と子どもたちが椅子に座ったり暖炉にあたっていたりする絵は、見ていて本当に

心が静かになった。



この展覧会を見た帰り、憧れの人を見かけて胸が躍って、急いで姉とダッフルさんにメールした。

(ヒントはハインリッヒ。)

そうしたら、驚いたことに姉も、その前日に同じ渋谷でハインリッヒを見かけたとのことだった。

ものすごい偶然に、さらに胸が躍った。

良い大晦日を過ごして、来年もいい年になるといいなあ〜としみじみ感じたのであった。



補足:今日の日記のタイトルは、今通りすがった母に

「今思い浮かんだ言葉を言って」

ときいたときの答えの言葉です。

よく思いつかなくて、この方法で書いてしまう。

ダッフルさんにやったものもいくつかある。

しかもタイトルの考案者へ、説明一切なしで行われる。




それにしても、紅白の布施明最高でしたね!

これからも何年かおきにこの歌を歌って、ずっと出続けて欲しい。

あの美女(宝塚の方たちだということ)と踊る演出も良かった。