おもちゃ屋

 私は私の大学の図書館が好きだ。


 満足してるとか、たくさん本があるとか、そういうことではなくて、「好き」という一言で
 片付くところが好きなのだ。
 でも、ひとつだけ嫌なことがあって、それは、本のカバーをはずしてしまっているということ。
 カバーをとられて丸裸の書物が、整然と並べられている。
 例えばそれは、背表紙だけでもわかるような山本容子の絵が装画になっている本だとか、
 カバーの紙の手触りとか、そういったもので「気の合う」本を探す旅に出ることが難しくなる、と
 いうことにつながる。


 でも、この本は、カバーがなくても、ちゃんとしていた。
 まっ黄色の本。布張りで、シンプルに細く黒い字で、背表紙にだけタイトルが記されていた。
 たくさんある庄野作品の中でも、これを手にとってしまわざるを得ないような雰囲気。
 ちょうどいい、一番心地よい大きさ。
 中身の文字の配列も、姿勢を正している子供のような生真面目さがあってかわいい。
 紙は古くなって変色し、わら半紙みたいな色になっている。
 借りようとしたら、なんと私が初めての貸し出し者だったようだ。びっくりした。
 とにかく、一目ぼれをしてしまったスタイルの本。


 中身はというと、それもやっぱり一目ぼれなのだ。
 読んだ本の内容に「一目ぼれ」というのもおかしな話だけれど、それは本当にそう。
 とくに、最後の3作品がいい。
 「泥鰌」、「うずら」、「おもちゃ屋」の、3つ。
 とくに「うずら」は、読んでいて本当に幸せな気持ちになる。
 小さな子供たちと過ごすひととき。うんざりするほど野蛮で、危険で、それでも愛すべき存在。
 それは、私たちの日常生活のよう。
 なんでもない日常を、切り取って手のひらに載せ、眺めてみることの楽しさと重大さを知る。
 この本のカードに一番に押した、私の返却日を記したスタンプとともに、
 ずっと残るだろう。
 心に居座り続けるだろう。