朝のいいところ



父の日付近で開催された
幼稚園の親子参加行事の日に、
娘からダッフルさんにプレゼントされた
手染めのハンカチ。
色も自分で決めて染めたそう。
園庭に後ろ向きに立たされた親たちが、
振り返るとプレゼントを持つ我が子に
手渡されたらしい。楽しそう。


ラッピングもかわいく丁寧に
されていた。

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歩いて5分もしない図書館に
行くのにも、フーフー言うほど
お腹が重たくなってきた。
でも本の続きが読みたくて、
今日も行くことができた。
妊娠中、ローラ・インガルス・ワイルダー
大草原の小さな家シリーズに夢中に、
というか大いに勇気づけられて
読み進めてきた。
通して読むのは初めて。
シリーズ最後、9作目の
「はじめの四年間」を借りてきた。
それについてはまた書きたい。


日記を読み返すと、前回の妊娠中は
「デイビッド・コパフィールド」を
全巻読んでいたらしい。
長い年月を誰かの人生と寄り添って
一緒の時間を過ごすと心強いのだと
思う。


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図書館で、一緒にきていた娘と
児童書の部屋にいたところ、
電話がかかってきてしまったので
「ここでちょっと待ってて」
と言って、
同じく一緒に来ていて別の部屋にいた
ダッフルさんに声をかけて、
図書館入口スペースに出て電話に出た。


電話が終わって戻ったら、
ダッフルさんに抱っこされて
涙を流している娘が。
ダッフルさんいわく
「部屋の窓から外を見てさめざめ泣いていた」
そうで、状況がわからず不安だったらしい。
悪いことをした。


夜寝かしつけているとき、
寝ついた娘が急に目を開けて、
私の顔を見たとたん
また悲しそうに泣き出した。
「図書館でいなくなっていやだった」
とのことで、また謝った。
そして、
「寝る前は嫌だったこと思い出すんだよね。
お母さんも小さいとき、よく布団で泣いたよ」
と話した。
こういうとき、必ず娘は
「そのとき、ばあばは何て言った?」
ときく。
そして思い出してみると、ばあば(私の母)と
今の私は同じようなことを言ってることが
多いことに気づく。
「大丈夫だよーもう終わったことだよー
寝たら忘れちゃうよー」
とか。


そしてたぶん、それでは娘の心が
おさまらないだろうな、という
ことにも、自分自身を振り返って、気づく。


今日は娘に、
小さいあーちゃんが頭の中の思い出を
整理してくれるよ、と話してみた。
「小さいあーちゃん」とは、怪我した場所に
かさぶたを作って治してくれたり
娘の喉元にいていろんな声を出してくれたり、
娘に体のいろんな不思議について質問された
ときの説明に登場させてきた存在のこと。


小さいあーちゃんは娘の頭の中にもいて、
寝ている間に部屋の中を片付けてくれる。
寝る前は、今日あったいろんな出来事が
床に散らばっているけれど、
小さいあーちゃんが
「この怖かったことはずっと奥の引出しに
しまっちゃおう」
「この楽しかったことはここに入れよう」
「これは大事なことだからここに並べよう」
って、きれいに片付けてくれるんだよ。
だから朝になったら何もなくなって、
「あーお腹すいた。朝ごはん食べよう!」
ってだけ思えるでしょ?
お母さんは、朝のそういうところが
すごいな、いいなと思うんだよ。


そういう話を、私自身に言い聞かせる意味でも
話していたら、娘は何となく落ち着いて
寝返りを何度かして、そのまま寝ついた。


朝になったら、またまっさらの
何もなかったかのような爽やかな娘に
なっている。
そのことに、私もいつも元気をもらっている。


それにしても、自分は急にいなくなると
不安にさせる存在なんだということを
いい加減ちゃんと自覚しなければいけない…


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今週また赤しそが手に入ったので、
今度はベニシアさんの番組のレシピで
しそゼリーを作ってみた。
(写真は何だかよくわからないが…)
甘酸っぱさにパワーをもらって、
暑い夏を無事に乗りきりたい。


妊娠34週がもうすぐ終わり。
振り返ると、娘がお腹にいたときの
同じ時期にはもう安静入院していて
ほとんど動かなかった。
重いお腹と暑さにバテながらも、
今ふつうに家族と生活しながら
出産を待つことができている、そのことに
感謝しなくてはとあらためて思う。


このまま手術予定日まで、どうか無事に…
お腹の中でのんびりのびのび、
大きく育ってほしい。